神楽坂で2011年にスコティッユパブ「ザ・ロイヤルスコッツマン」を開業しながら、2021年より無農薬農業を始め、食を通じての体験や考えをまとめたブログです。食育インストラクターでもありオーガニックの普及に努める。国内では珍しいスコットランドの民族楽器バグパイプ奏者で全国のビールやウイスキーのイベントでの演奏も行っています

独立をして10周年という区切り

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16歳で飲食業界でアルバイトをはじめ、高校を卒業と同日から社会人として仕事をはじめ、24歳て渡仏、28歳で帰国、34歳で独立。ザ・ロイヤルスコッツマンを開業したのが2021年12月19日。間もなく10周年を迎えようとしています。

2020年、突如と現れた新型コロナウイルス。2021年12月現在もオミクロン株の出現により続いています。この2020年、2021年は世界的にみても新型コロナウイルスに振舞わされた2年間。そして日本、東京で飲食をしている人間にとって2021年は殆ど通常営業は無かった。しかもお酒を提供もしてはいけなかった期間が長く、様々なことを考えさせられた年になりました。

その状況の中、何かをする人、しない人。色々な形で対応をする人がいました。僕はというと行動をしていた部類に確実に入ってきます。そのなかで一区切りの10年を迎えます。僕にとって、ここからスタートの1歩を始める年なんです。

幼少期から料理を作りたかった

画像出典:代筆専門-PHOLX-

2001年元旦、母親から電話がありました。「何だか汚い字で友寛宛てにハガキが来てるんだよ」何のことだか分からなかったのですが、実家に帰った際にそのハガキを見て驚きました。

コックさん

白くて長い帽子をかぶっている絵と共にかいてあったそのハガキは、1985年に茨城県つくば市で「国際科学技術博覧会・つくば万博」が行われました。両親に連れられ遊園地感覚で色々なアトラクションを楽しんだ記憶があります。その中で「21世紀に届くハガキ」というものがありました。ハガキの裏には「自分の将来」を書いたみたいです。そのハガキでした。

幼稚園、小学校、中学校、もちろん高校もですが、卒業文集のようなものには全てコックさん、もしくはシェフ、料理人と書いてあります。小さい時から料理を作る人になりたかったんだなと分かります。

独立をして10年という期間

The Royal Scotsman

10年という数字は凄いのかな?凄いんだろうな?と確かでもあり不確かでもあると思っています。良く飲食店は3年以内に新規出店をした店の半数、50%が閉店になると言われ、10年後は5%と言われます。100店舗が新規に開店をしても10年後は5店舗しか残らないという数字です。

この期間は何もなかったと言ったら嘘になります。本当に色々あったなと思い返します。スタッフに対することが一番記憶に残っています。今もそうです。

10年という期間中でも、特にこのコロナ禍の約2年間。基本的な考え方は変わらないけど、本当に動いたなと今更ながらに思います。テイクアウトやデリバリーをするけど、通常の飲食店とはノウハウが違うからどうやるんだろうと、お弁当屋さんに質問に行ったり、店内に滞在をして仕事をしている人の動きを見ていたり、迷惑な人間だなと反省します。保健所に連日のように通い、提供をしようとするメニューの何が良くて何がダメなのかの確認、飲食店営業以外の免許、食肉(包装)、菓子製造、お惣菜の3つの許可証を新たに取得。

通販をするのにも食品成分表やアレルゲン表示の記載の仕方が分からないから本を数冊買って勉強して、実際に作ってみては保健所に持って行っては訂正をしてもらっていました。

通販用にケーキの箱やパッケージ、袋やシール様々なものが必要なんだと改めて分かり、業者さんとZoomを使って打ち合わせをして完成品をつくる難しさ。通販は店内ですぐに食べてもらえるものではなく、流通を必要として時間差が生まれるので安心な商品を届けるという本質の難しさや、その達成感のようなものを感じながら今も行っています。

2021年4月からは本格的に農地を借り農業を始め週に2回、東京と栃木を行き来して11月に初収穫を終えることも出来ました。今は収穫をした生姜の加工品で色々と時間を使っています。農業を始めてからは、お客様にも知人にも「あんまり無理はしないでね」と親切に声かかけて頂き「あぁ~有難いなぁ!」という思いをしみじみと感じながらも「止まってられねぇ!」という思いが先走っていました。それは僕が勝手に思っているのですがオテル・ドゥ・ミクニの三國シェフの存在があるからです。

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不易流行

不易流行

何度か、ブログやSNSに登場をしているこの言葉。三國シェフの誕生日をスコッツマンで行って下さった日に頂いた言葉です。カウンターの所に額に入れて、いつでも目につくようにしています。

不易流行(ふえきりゅうこう)

俳諧の理念。松尾芭蕉が元禄2 (1689) 年冬頃から説き始めたという。
一般には句の姿の問題として解され,趣向,表現に新奇な点がなく
新古を超越した落ち着きのあるものが不易,
そのときどきの風尚に従って斬新さを発揮したものが流行と説かれる。
しかしまた,俳諧は新しみをもって生命とするから,
常にその新しみを求めて変化を重ねていく流行性こそ俳諧の不易の本質であり,
不易は俳諧の実現すべき価値の永遠性,流行は
その実践における不断の変貌を意味するとも説かれる。

出典:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

残し伝えるべきもの、変化をして行くべきもの

この言葉を常に見ていたので「考えるよりも先に自然と身体が動いた」というものと、「三國シェフに見られているから正しい行動をしないといけない」という、なんて言うんでしょう、常に背後から目を光らせている人ににらまれている感覚というんでしょうか・・・(三國シェフすみません。)そういう気持ちも常に持っています。その答えは「三國シェフだったらこうはしない!」というシェフが嫌うことをやらないという忠誠心なんだと思います。僕は二十歳で父親を亡くしたので成人してからの父親というものを三國シェフに感じていました。

三國シェフと
Kiyomi Mikuni 皿の上に僕がある

数年前に「人生で大切なことは○○で学んだ」という書籍が出版され人気になりましたが僕にとっては「人生で大切なことは三國シェフから学んだ」なんだとハッキリ言えます。それくらい三國シェフ一途に過ごしていました。僕の下に入った後輩が数名いるのですが、本当に大変だったろうなと思います。三國シェフ、スーシェフ(副料理長)諸先輩を上手くすり抜けても、確実に僕が目を光らせていましたので。

やっとスタートラインからの1歩

生姜収穫2021

先にも書きましたが飲食の生存率は10年で5%、読んでくれている方がどのように思われるか分かりませんが、僕にとっては「たった10年じゃないか!やっとスタートラインに立ったぞ!」という気持ちなんです。

僕は華やかなフランス料理に憧れ、高校生で栃木にいながらオテル・ドゥ・ミクニでバイトをしようと、学校のある時はバイトをしてお金をため、夏休みや冬休みなど長期の休みのときには中央線沿線のウィークリーマンションを母親名義で借りでミクニの洗い場で過ごしました。それくらい三國シェフが大好きでした。高校を卒業した当日の夜から仕事をはじめれるようにレストランの近くに部屋を借り、引っ越しも完了させておき、卒業した数時間後には洗い場にいました。三國シェフの近くに行きたいのに洗い場は隔離されていたから「どうやったらあっちに行けるんだ!?」ばかりい良い方法も悪い方法も両方考えていました。

タルト生地を作るのに、これまでのやり方に不満があってシェフパテシエに相談をして美味しいものを作るために別室にあった専用の機械を使う許可をもらって作ったら、今までの出来とは全然違う美味しさに仕上がったんだけど、副料理長には朝まで怒られたのは良い思い出です。ミクニ開店当初から提供されているアミューズ(突き出し)のタルトオニオンの究極形を求めた結果、それが引き続き作られているとも聞きます。それを三國シェフは美味しくすることを条件に僕にチャンスをくれたものと思い、美味しいものを作るために温度を1度ずつ変えながら研究をしていました。お客様のテーブルまで運ぶギャルソン泣かせのプルプルなタルトオニオンを作っていました。

ゴミを出して回収業者さんに持って行ってもらうのにも、なるべく早く、素早く行い、毎日奇麗に磨いておく。まな板も手が荒れても真っ白になるまで漂白剤を使って洗う。だからなのか今でも僕の手は漂白剤を素手で触っていても荒れません(笑)。使う前掛けはシワにならないように伸ばしてハンガーにかけるか、丸めて置いておく、鍋は右利きの人が多いから取っ手を若干右側よりに向けて揃えておく。

書き出したらキリが無いほどオテル・ドゥ・ミクニで過ごした時間の中で徹底的にすることを自ら選んで、さらに良くなるように試行錯誤をしていました。全ては三國シェフに認められるために、三國シェフ本人以上に三国シェフの動きを見て癖をつかみ研究をしていました。それでも注意を受けるのですが・・・。

この2年間のコロナ禍の中での行動、止まることはせず動いて動いて、動きまくりました。もちろん失敗も数多くしました。動いたからこその失敗です。もともと僕は不器用だから回数が必要なことを自分が一番理解をしています。だから動きます。動きながら考えます。農業も1人ではじめ初収穫も終えることが出来ました。これまでの過程を全て動画や写真に記録をして作業時間を記録して、作業内容を記録して、色々と情報もたまりました。来年は農業事業を拡張します。そして2021年12月19日に10周年を迎えることが出来ます。

10年というのは、これまで蓄えたものを発揮していくための準備期間。ここからが本番。スタートです。

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