神楽坂で2011年にスコティッユパブ「ザ・ロイヤルスコッツマン」を開業しながら、2021年より無農薬農業を始め、食を通じての体験や考えをまとめたブログです。食育インストラクターでもありオーガニックの普及に努める。国内では珍しいスコットランドの民族楽器バグパイプ奏者で全国のビールやウイスキーのイベントでの演奏も行っています

2021年の年越し→2022年の新年


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2021年→2022年
昨年は、コロナ禍により大きく考え方や行動が変化を年になりました。店舗のスコッツマンではECサイトを作り通販を始めたり、会社の新しい事業として農業を始め無事に収穫をすることができ、収穫をした生姜を使いジャムやケーキを作り店舗で販売をすることも出来ました。

年越しは新年に向けて目標設定などをする人も多いと思います。僕はお店を始めてからは知人のお店に行ったり、どこかに行ったりしていました。しかし2021年の年越しは、やることがあり店舗で一人で新年を迎えました。

10年が過ぎて

店舗作りの解体作業

2021年12月19日で店舗が10周年を迎えました。先にも書きましたが通販を始めたこと。そして農業を始めたこと。この2つが非常に僕にとって多くの経験をさせてくれました。その中で特に畑仕事をしながら、畑の拡張のために市役所、町役場、農家さんに訪問をしながら1つのことを考えていました。

ユッキーと山ちゃんがいてくれるから、店舗から出られるんだな。もっと成長して欲しいな。

農業を拡大するにあたり現地で畑の管理をメインでしてくれる仲間も必要。そして僕自身も畑関係で行政に行くことも増えます。なのでスコッツマンでも仲間が必要。だから共通の方向に目を向け、目的をもって足を進める必要があるから、そこを定める必要があるということです。しかも非常に分かりやすく。農業を始めたことで軸は変わらないけど考え方や方向性という部分で変化が生まれました。

何がしたいのか?ではなく、どうなりたいんだ?

不易流行

ここを自分で徹底的に考える必要があり、収穫後はとにかく過去のブログやSNSに何を書いていたのかを読み直し、本を読む時間を作っていました。そしてカンター横に飾っている三國シェフが書いてくださった「不易流行」の文字を見つめながら思いつくことがありました。

三國シェフと料理人

mikuni 皿の上に僕がある

16歳で憧れ、その下で仕事が出来たオテル・ドゥ・ミクニ、三國シェフ。連日シェフの料理を食べに来てくれる多くのお客様に作る料理は、スーシェフを元に各ポジションのスタッフが料理を準備段階から作っています。シェフはひとたび営業が始まると、指揮官のように各ポジションを指示し、1つのお皿の料理を作るのに10人以上もの料理人が同時に動き始めます。その料理を作る前段階にも当時の僕のように、お皿に指紋が無いようにライトの下で二度拭きをして、料理に使う鍋などを準備する役目の下積みの人間もいます。



同じ方向を向いている料理人同士が、シェフの一声でさらに戦線体制に入り、同じ目的を持って前進をします。

10本以上もの腕がバラバラの動きをしているにも関わらず、バチッと呼吸が合い一皿が作られる、あの達成感。あのときにどうなってそうなるのかを考えていました。

先輩や同期の料理人ではなく、僕自身が何を考えていたのか?それを掘り下げることをこの営業後に毎日していました。そんな年末にオテル・ドゥ・ミクニからお手紙が届きました。

そこにはこのような文章が書かれていました。

三國シェフは37年、オテル・ドゥ・ミクニに立っています。僕は10年です。その差は27年。僕がこの世に生まれてフランスへ行き、帰国を決めた時間と同じ長さ分も多く調理場に立っています。本当に凄いとしか言えません。コロナ禍の中でもテイクアウトや通販だけでなくYouTubeも始め連日、動画のアップをしています。これが頂いた言葉「不易流行」です。変わらないもの、変えていくもの。それを身をもって示してくれています。辞めた今でも、いつも先頭に立ち方向を示してくれています。僕は三國シェフに対してはいつもその様に思っています。それを改めて感じました。そして当時のことを強く思い返していました。

同じ意識を持った人間同士が集まると強いな。こうでありたい。ユッキーや山ちゃん、これから仲間になるであろう仲間と成長をしたい。そして、そう思ってもらえる人間でありたい。そして仲間も、お客様も、取引をしてくれる業者様も、お店のある地域にも貢献をしたい。いや、するんだ

きっとこの10年、同じようなことを思っていました。しかし形になっていない。そこが足らない。10年という数字に僕は癒着はしません。出来ていないから。だからこの11年目は基礎を作る必要性があると実感をしました。ミクニの厨房は好きな時間に来て良かったけど朝9:00に全体ミーティングがあり、多くの会社でもあるように「一つ〇〇、二つ〇〇、三つ〇〇」というような項目を読み上げる時間がありました。僕はそれを率先して言っていたのですが、そういう機能する指針が必要であり、それが文化を作るものになるので31日はお店に午前中から閉じこもり考えていました。

何がしたいのか?ではなく、どうなりたいんだ?

自分の言葉を作り伝える

何度か僕のブログ等にも出てきた、オテル・ドゥ・ミクニのアミューズ(突き出し)のタルトオニオン。僕はこれを作ることに使命感を持って作っていました。そして僕が担当した時にレシピが変わりました。分量とかではなく作り方やイメージの明確化です。

先輩はタルト生地はフードプロセッサーを使い手でこねていたんですが、僕は本で読んでいて生地を作るのに手の熱が生地の良し悪しに悪影響を及ぼす。ということを目にしていたので、あの量を作るのに時間がかかりすぎる。もっといい方法は無いのか?ということを直ぐに考え、生地のプロはパテシエだと思いシェフパテシエに相談をしてパティスリーラボにある粉を混ぜる大きな機械の使い方を教えてもらい、夜な夜な生地作りを教えてもらっていました。その現場を調理場のスーシェフ(副料理長)に発見され、朝までこっぴどく怒られました。

オープン当初からあるタルトオニオンは担当者が作り続けてきたものを、お前みたいなやつが勝手なことをするな。

基本的に僕は頭ごなしに言われるとカチンとくるタイプなので猛反対をしました。それで更に怒られますが(笑)でも、僕にはどうしても曲げられない思いがありました。

大量に作るのに手で作っていたらグルテンが出て状態が良くない。生地を作るのは機械を使えば直ぐに出来る。しかも冷たいままで出来るから生地もサックリ仕上がる。美味しいものを出した方が良いに決まってます。

まぁ、こんな言い草をすれば怒られるのは分かってはいるけど、美味しいものを出すという決まりごとがあるのに、何でそれをしたら怒られるんだ!?と何度も何度も猛反発。二十歳そこそこですから熱がこもってるし、自分がアミューズを作っているというプライドしかありませんでした。

その事件を三國シェフが知るのに時間はかかりませんでした。僕がこれまでで一番のタルトオニオンを作る。そういう生意気なこと。生地を機械で作る理由。そういうことを聞いてもらいました。シェフなら絶対に分かってくれるはずという思いだけがありました。どんな下っ端でも三國シェフのアミューズを超えるものを作ろうとしているのだから反対はしないだろうと。でも、三國シェフは僕を鋭い眼光で見て終わりました。

「あれっ?」むしろ僕自身が拍子抜けしました。そして思いました。「出来損ないを作ったら殺されるな。」と。時間が出来ればパテシエの方に生地のことを質問に行き、内緒で生地を使うデザートを食べさせてもらいに行っていました。作ったデザートのパイ生地が時間の経過でどんな食感に代わっていくのかを知りたかったからという理由ですが、それ以外に僕は甘いもの好きなので、色々と食べさせて頂いてました。今だから言います。すみませんでした!

温度を変えながら生地を焼いたり、オーブンのどこに置くとこんな焼き上がりになるとか、意図的に焼き過ぎてみたりと色んなことをしながらイメージ作りをしていました。そこで思い付いた言葉が、頂いた手紙にのタルトオニオンにも書かれている言葉。

キッシュと茶碗蒸し

タルトオニオンを作るときに「こう作るんだ」「温度はこうで」など口頭でのレシピはありました。でも完成形というか、お客様の前に提供されたときのインスピレーションというか驚きというかそういう感覚を教えてくれる人は誰もいませんでした。だから自分で必死に考えました。(もし以前の先輩が使っていたらすみません。むしろシェフが使っていたのなら本当に申し訳ございません!!)

このイメージが鮮明に出来上がってからは、あの茶碗蒸しがパイ生地の上に乗っている状態に近づくように仕上げることだけに集中をしました。卵を使っているので温度に気を付け、何度も何度も作りました。そして納得のいくタルトオニオンが作れるようになりました。あまりにも究極的に火入れを行いプルプル過ぎてギャルソンの方がお客様に運ぶ前に崩してしまい戻ってくるということもあり、その度に「おいおい!頼むぜ、最高の状態なんだから届けてくれよ!」と思いました。戻ってくるギャルソンの方が怒られるということも起こるようになりました。

シェフの理想に近づけている!

上の写真がタルトオニオンです。僕の理想とはちょっと違う。担当をした人には申し訳ないけど、まず、パイ生地の高さよりアパレイル(たまご生地)が数ミリ低い位置になっている。そして火が入り過ぎて凹んでいる。先端部分を食べた後の写真か分からないけど、もし提供された直後の写真だとしたら、先端が崩れたことにより切ったと思うんだけど切り口が汚い。右下の底の部分のパイ生地まで切っていてその切り口も汚い。先端底のパイ生地近くにパセリが付いている。僕が近くにいたら確実に怒っています。タルトオニオンの提供は洗い場だった僕が営業中に厨房に入ることが出来た時間でした。何よりもシェフの近くでタルトオニオンを提供して、仕事を見てもらえる唯一のチャンスだったから全神経を使っていました。

三國シェフにとって恩人でもある小木曽夫妻。シェフが在スイス日本大使館の料理長をしていたときの大使夫妻です。よく四谷のオテル・ドゥ・ミクニにも足を運んでくれていました。予約表に名前があると緊張をしました。そんなあるとき「今日のタルトオニオンがとても美味しかったです。」という言葉を頂きました。料理が美味しかったではなく(美味しいのですが・・・)タルトオニオンと名指しで!それを作っていたのは、生地の作り方を変え、その事で怒られた一番下っ端の僕で、洗い場で握りこぶしを強く握ったことを覚えています。

僕にも後輩ができてタルトオニオンを教えるときがきました。「キッシュが茶碗蒸しなの!」「温度が高いから、すが入るの!」「硬い茶碗蒸しなんて美味しくないでしょ!」「火を入れ過ぎだから膨張して焼きあがると凹むの!横の生地の高さと一緒で、底と並行!」「焼き色が均一じゃない!」何度も何度も同じことを言い続け、イメージになるためにパティスリーラボの機械の使い方、生地の延ばし方、オーブンの予熱時間、置き場所、温度の調整、余熱時間、保管の仕方。ありとあらゆることを細かく教えました。後輩にしてみたら大変なことです。僕と同じように出来ないと連日シェフから怒られます。そして「小貫、代われ。」この一言で終わってしまいます。だから僕もさらに必死に教えました。一緒に遅くまで残り、早く来て見てあげる時間を作り、僕が名前を呼ばれない状況を作る。そこから先輩方が作っていたグランドメニューも、口頭で伝えていただけの料理を、メモして分量を量り、絵を描きレシピを作っていました。そしてレシピ以上に大切なことにあることにも気づきました。

シェフは何を考え着地点はどこだ?何を求めるんだ?イメージは何だ?

分量や作り方が分かっても、この部分が分からないと三國シェフの料理ではないし、オテル・ドゥ・ミクニの料理では無い。だから、この部分を伝えることが何よりも重要なんだ。そう思ったから、僕は後輩にかなり抽象的なことを言い続けていたと思います。でも「その料理として形が見えない部分が大切なんだ」と、頂いた手紙を見ていて2021年12月31日に改めて感じたので、僕の会社に必要なことを示す言葉を作ろうと思い閉じこもったというのが経緯です。農業も加わったことで、企業としての文化を作る言葉を作ろうと色んな言葉を書いては消して、書いては消して。気が付けば2022年の新年を2時間以上も超えていました。

価値観の共有

この10年、これが足らなかった一番の物です。面白い言葉でも、可笑しな言葉でも、自分の言葉が必要であって、それは企業の存在価値や理念、事業をすることの目的を見える化して、会社が社会での価値観を働いてくれる仲間に伝わるもの。それが働いてくれる仲間を成長させるものでなくてはいけない。それを言語化する。

理念の共有と行動指針

それは僕らしくなくてはいけなく、僕を映す鏡のようなものでもある大切なもの。でも、もっと大切なことは、こういう理念や行動指針的なものが、働いてくれる仲間が本質を理解して、事業の目的や価値観に共鳴をすること。そして、働いてくれる仲間が体現者として存在をすることで、作った言葉やモノが自然に不要になっていくこと。そうなってくると企業としての文化や風土というものが定着をしてくると僕は考えます。スターバックスはクレドカードというものがあることは有名で、そこには理念と行動指針が書かれているのみ。たしか、たった397文字だったと思います。あれだけの世界的企業なのに細かいサービスマニュアルは無く、このクレドカードに書かれていることが先輩から後輩に受け継がれている素晴らしい企業です。

それと同じようなことを自分が経験していたのに忘れていました。凄く大切なことです。オテル・ドゥ・ミクニの三國シェフに「ミクニイズム」という言葉があったように。僕もやるべきことなんです。何の土台も無いのによく10年続いたものだとも反省をしました。こういうお店にしたい。そいう思いはあるし、常々口にしていました。でも足りないし、やっていなかった。それを頂いたお手紙から気付かせてもらいました。「キッシュと茶碗蒸し」という一文から。

形態を目的に名刺サイズで蛇腹使用にしようと試しにコピー用紙にプリントして切って糊付けして作ってみました。出来上がったら防水加工等で依頼をします。ミッション、それに伴う行動指針。そして人間性について。これだけを短く書きました。全てはここから始まります。マニュアルも細かいモノは必要なく、これに準じているかいないか。これから外れる行動は違反になります。気づきやすくなります。理解もしやすくなります。共通意識が高まります。そして、合わない人は来なくなります。共鳴できる人は来やすくなります。これで良いと強く思えるようになりました。これが自分を映す鏡です。

ユッキーと山ちゃんがいてくれるから、店舗から出られるんだな。もっと成長して欲しいな。

この思いがあったからこそ、さらに、このタイミングでお手紙が届いたからこそ、11年目、2022年を始められます。2022年は寅年、いつもご祈祷をして頂いている毘沙門天様には狛犬ではなく虎が祭られていて、2022年1月1日は虎の日。そんな縁起の良い日に毘沙門天様でご祈祷を受け、店舗に閉じこもって、大晦日の言語化をしてこの蛇腹式のクレドカードの試作をしていました。これで寝るのとお風呂に入る以外、気が付けば3日間ずっと店舗に閉じこもっていました。

今までになく、遠い未来と近い未来だけのためのことを考え続けた、良い年越しと良い新年を迎え元日を過ごすことが出来ました。

文化づくり開始

年明け最初の営業日は1月6日(木)15:00です。どうあれ製品が出来るまでは自分でプリントアウトして手作りしたものをユッキーと山ちゃんに渡して、方向を定めることから始めます。

神楽坂にある The Royal Scotsman そして、昨年から始めた農業、僕は料理人からお酒の文化であるパブに魅力を感じフランス料理を辞めました。そして農家として作物を育てることも始めました。今年は農業に関しては畑の拡張と加工場。スコッツマンは理念文化の基礎作りの徹底をすることです。

僕にしかできない企業を作り上げる。神楽坂で愛される店舗The Royal Scotsman、地域と世界を繋げることが可能な生姜をメインとする農作物と加工品。パブは英国文化。生姜も英国文化に根強い作物。バグパイプも英国(スコットランド)、そして、アホみたいに古い体制と考え方の農業だからこそ面白い。観光農園にして宿泊施設とかも良いな。あぁ~これって僕の夢だったオーベルジュなんじゃないかな?しかも自分たちで育てた野菜を使って、自分たちで調理して、自分たちでサービスをするって最高じゃん!元料理人としてワクワクする。三國シェフもオーベルジュやりたいって書いてたな。僕はオーベルジュっていうよりも「イン(inn)」が良いな。あぁ、これも英国文化だ。最近は英国菓子も作ってるからティールームも良いな。英国の田舎にあるようなティールームみたいな。ここでも英国文化。僕は英国との相性が良いみたいと改めて気づきました。

そう思うと全てが英国ということに繋がる。僕はフランス料理を辞めたのに、どこかしらにプライドというものを隠していたのかもしれません。こんなどうしようもない未練の塊のようなプライドが一番くだらない。そうハッキリ言えます。だって、僕はパンク大好きですから。パンクだって英国文化。ここからは思いっきり英国に舵を切ろう!これで自分にも働いてくれる仲間にも妥協しなくなる。

Q:何がしたいのか?ではなく、どうなりたいんだ?

A:僕は僕らしく三國清三シェフを超える人間になりたい

何だか随分と大きく偉そうな言葉ですが、これが素直な答えなんじゃないかと思ったんです。功績とか規模とかではありません。僕が16歳で憧れたシェフの真似はできません。僕一人じゃ太刀打ちできない。そんな偉大なシェフです。いつまでも憧れの存在です。

僕にとって三國シェフでは「雲の上の存在」です。超一流の人がずっと目の前にいたことに感謝です。だから謙虚にパンクで僕らしくて良いんです。タルトオニオンを作っていたときの気持ちです。

こんなことを書いておきながらなんですが、何だか高校生のときにオテル・ドゥ・ミクニの前掛けを身に付け、洗い場で最初のお皿を割ったときの、あの異様な緊張感で背筋が伸びました。

僕はオテル・ドゥ・ミクニで料理を学んだとはあまり思っていなくて、三國シェフの研究をしていました。「今、要求をされていることは何だ!? Aか?Bか?それともCか?」これを毎日、毎時、毎秒と考え、シェフの答えを求め研究をていたんだと思うんです。そして僕が形成されました。

何かあったら怒られ、何かなくても怒られることもあり、これが辛かったかというと、当時の僕はぜんぜん辛くなありませんでした。早く皿を洗う方法を覚えたい。キレイな鍋の磨き方を覚えたい、ゴミ箱を早く洗えるように・・・なんでも上手になりたい覚えたいという気持ばかりが先に立って動いていました。そのときは、この上手くなりたいという気持ちが金銭や出世を超えたものだったので、どんなに怒られたとしても、不思議と腹が立つことはありません。どういう気持ちだったのかを考えてみると、それは人が相手でなく、技術(仕事)だけが相手だったということ。皿を早く洗う、皿を早く奇麗に洗う、皿を早く奇麗に整頓しながら洗う。そんな技術を覚えることに頭をさげてたんだろうと思います。それに至らない部分を三國シェフは自分で気が付くように教えてくれていたという教育です。

今は時間の流れも速く、生活環境も大きく変わり、個というものが主張される世の中です。大きく時代は変わりました。だからこそ「不易流行」の言葉に感謝をして。

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