農業を始めて、栃木県小山市と自宅のある神楽坂を往復をしています。何だかUターン、Iターンというような出戻り的な認識はないけど、そういうのにあたるんだろうなという気持ちはあります。
そして地元で何かをやるということの楽しさを感じました。
しかし、それとは反対の感情というか気持ちも当初からずっとありました。
地元でやることに安心して満足してないか?
小学校、中学校と小山市と言っても市内には程遠く畑と田んぼ学校に通学していました。高校になり宇都宮ですが、小山で生活をした時間は18年ということになります。
新幹線も止まり、今は湘南新宿ラインも止まるので都心からの交通も便利になり、都内まで通勤する方がいるくらいです。確かに僕も利用をしますが便利です。新宿や池袋から乗り換えなしで小山に行けます。
今回、農業を始めるにあたって栃木県内の色々な地域に行き、市役所に行き、直接聞き込みをしたりしながら新規で農業をやるのは大変だなということを実感していました。
その中で地元である小山市は一番最後に選びました。地元という甘えは何かのときに取っておこうと思ったからです。畑を探すのに市役所に行っても「東京に住んでいて小山でどうやって農業をやるの?」と何度も何度も言われた質問ですが、その答えは簡単で「どうにかする!」という自信のみです。しかしながら地元ほど受け入れ態勢というか動きやすいと感じた地域は無いということも分かりました。
当然のことですが、こんな感情論や精神論はお役所にはなかなか通用しません。承知の上での回答です。
なので、実際に相手にされないことのほうが多いです。しかし実際には、今育てている生姜は「どうにかなっています!」。まずはきちんと会話をするということが大前提で、会話こそ必要ではないのかなと様々な市役所に行き感じたことです。
何かを始めようとするときに必ずと言っていいほど障害が発生します。これも分かり切っていたことです。役所がダメなら農家さんと直接交渉!というこれまでに身につけた能力で地道に歩き回りました。
そして実家の近くに0.5反(150坪)の畑で農業を始めました。
自分の実家の地域なので、苗字を言えば話は通じて快く受け入れてもらえる。僕が東京に行って、フランスに行って、戻ってきて自分の店を神楽坂でやっているというようなことは多くの地元の方々が知っていました。
だから話も早いです。これが地元の強みかと実感しました。昔から「変わってる」と言われていたことが、今回も自分の素性を話すうえでは非常に役に立ちました。
農業をやって拡大をして雇用をして、加工場や店舗を構えて・・・と農業を実際に始めると想像だったものをより具体的に考えるようになりました。そうなるとやはり行政、市役所を考えるようになりました。話を聞いてもらえないのであれば、話を来てくれる人を探して、良いことも悪いことも思いっきり話しを聞いてもらい、そのうえで巻き込む方が早い。
直接質問をしたり、電話をしたり、ネットで調べてみたり、メールをしたり、様々な手を使い、様々なことに時間を使いました。
「地元であっても地元で無い」そんな感覚です。その理由として一番大きいものは小山に住んでいない、小山で仕事をしていない。今の小山を知らない。これに尽きます。
地方が抱える課題として非常に大きな問題点が2つあります。
これは地方だけの問題ではなく、日本国内の大きな問題ですが、将来的には東京の方がひどい状態では無いかと思います。これだけの人間が住んでいる巨大都市ですから。
そして、この2つの大きな問題があるがゆえに起こる問題が「商店街・繁華街の衰退」「耕作放棄地」についてではないかと思います。
僕が幼少期の小山は「小山遊園地(既に閉館)」がありTVでもCMが良く放送されていました。その近隣には大小さまざまな種類のお店があり、それなりに人が動いていました。
そもそも商店街というものは、戦後復興期から高度成長期にともない数を増やしました。その周りには住宅地もでき人が移住をするようになり、商売や仕事を地域の一等地でもある商店街の近くでするようになり、「町の中心」として存在をするようになりました。
百貨店、対規模小売店などは催事の開催など地域活性化を進め、地域の人々があつまる「場」として「コミュニティ」を作ってきました。僕も幼少期は母と買物に出かけるのが好きでよく連れて行ってもらっていました。
その後、百貨店や大規模小売店が増えるにしたがい、昔から存在をしていた地域の商店街は、地域内において競合するという流れになります。1973年以降「大規模小売店舗調整法」によって、大規模小売店舗の出店が規制されてきましたが、1998年に成立した「まちづくり三法」の一部である「大規模小売店舗立地法」により、商業規制から社会的規制へと転換が行われたことにより、商店街と百貨店の存在が徐々に変化をし始めました。
これまでは中心地のみの発展が車や公共機関の進化によって、郊外へも大規模小売店の出店が進み、市街地での生活の利便性も薄まり、市街地、郊外へと人は流れ、経済の発展と共に都心部へ流動が起きたことで、商店街が中心としていた中心市街地が徐々に空洞化をしてしまいました。
2020年からのコロナ禍によりIT技術の進展によりEC市場が拡大しました。これまではリアル店舗のみだった店舗も、ネット販売を始めたり、オンライン専門店のみという出店も多くあります。コロナ禍により店舗の出店の仕方も変わりました。僕自身もリアル店舗以外にオンラインショップでの販売も始めたほどです。リアル店舗同士の競争だけでなく、そこにオンライン店舗の台頭により、商店街の業況はますます厳しくなっています。
今年の初め、ただただ農地を探しに様々な土地、役所に行きましたが、農地を拡大するにあたり再度、同じ問題が出てきました。農地拡大のための農地探しです。先日は小山市役所に行き農政課、農業委員会と2時間ほどお話しをしてきました。本気なのでやるのなら就農に向けての取り組みにフォーカスをしています。
何も分からずに先生の教えのままに始めた農業ですが、この半年間で少なからず知識は付いてきています。畑を耕し、畝立てをして定植。発芽を迎えて成長段階。ここまでの半年間は試行錯誤の繰り返しです。自分で仮説を立ててみるも分からないものへの仮設なので、とことん覆されえました。そして東京に居ながら小山で農業をやるという距離的問題、それに影響をするように時間的問題と、畑の近くで農業をやる人とは違う問題も経験をしてきました。
そのなかで、少なからず「こういう畑は理想的だな」というものがチラホラと見えてきました。
完璧で理想的な畑は、大型農業をしている方や先祖代々農業を続けている方が既に確保をして農業を始めているので、出てくることは無いと思っていますが、何かのご縁で紹介を頂けるのなら本当にありがたいなと思います。
そうではなく、これまでの経験をベースに3年後までにこれだけは欲しいというものがあります。
生産も非常に楽しいのですが、僕は加工・販売というも大切に考え、非常に興味のあることです。そのためには、ただ生産規模を拡大するだけでなく、加工場の知識や免許、雇用、流通、販売所など考えることは非常に多くあります。
その様な「場」を作ろうとする「よそ者」が、その地域や商店街に加わることで、「小さな変化」を起こせるんではないかと信じ、今の農業も取り組み、その様に思うようになりました。
その地域で農業をして、加工、流通、販売をする六次産業化ですが、地域ビジネスとして大切なことは「すべてを地域でまかなう」ということだと考えています。他県から原材料を仕入れるのではなく、地元農家さん、生産者さんから買い取りを行う。自分たちで生産をするということは大前提です。
就農というかたちをとり耕作放棄地を無農薬栽培の畑へと戻し、生産の最前線にする。将来的には農業を考える若い人を中心に研修生制度を用い入る。そのまま育てた畑を分譲し独立をするのなら、その畑で育った作物を買い入れることで原材料供給という部分での安定化が図れます。
全てを地域でということを考えると、地域のことを更に知りたいなと思うようにもなります。そのためには、やはり「足で稼ぐ」ということが大切だろうと考えます。インターネットサービスの充実した現代、メールやビデオなどでコミュニケーションを取ることは可能です。しかし「直接会って話す」ということに比べると深さが違うということを、今の畑を探すときの農家さんへの飛込むという行動が再確認をさせてくれました。
有難いことに、僕は自分が刺青であったりボディーピアスという外見で大なり小なり様々な経験と体験をしています。なのでというと語弊があるかもしれませんが「外見で判断されることに慣れた」人間になりました。内心は「外見で判断されたら見返してやる!」と常々思っています。大人げないとも言われることもありますが、「そうとも取れる」と自分でも分かっているので気になりません。でも、真剣に付き合ってくれる方が大勢います。だから頑張れます。
今回、拡大するための農地を探す段階で、まず「地元か地元ではないか」という大きな選択になりました。地元か地元ではないかという問題に対して、農地だけでなく、販売所、加工所も地元か地元でないかという選択も出てきます。その地域にあることで「人」が集まる「場」が出来るので「変化」が生まれます。農業を始めることで「まちづくり」に貢献をすることが可能になります。「僕はこれがやりたくて農業を始めているのではないか?」と自問することが増えてきました。
「一次産業から始めるまちづくり」ということを考えるようになり、ただ農地を探すだけでなく、住んでいる住人や行政の方々に様々な質問もするようになりました。そしてその質問の内容も変化をしました。
地方に変化はなかなか起こりません。若い人は出て行ってしまい、高齢化が進み現状維持という道筋をたどります。変化を起こすものは、やはり「若者」「馬鹿者」です。地域で生まれ変換の必要性を感じる馬鹿な若者が行動を起こすことはりそうかもしれません。しかし、そいう若者は「外」を見がちです。きっと僕もそうだったのだろうと思います。
そんな「馬鹿な若者」だった僕が時間を経て「よそ者」として地元や地方で何かを始めるということは変化が起こしやすいのではないかと考えています。むしろ起こしやすい立ち位置なのかもしれません。
楽しくなければ、楽しくすればいい。
変化が無いのであれば変化を起こせばいい。
よそ者だから、人の目も気にならず、恥ずかしいとうことも無く、思いっきり追求することができる環境にあると実感をしています。
今後の就農や畑の拡張に向けては、雇用も発生をしてきます。拡張、拡大という広げるというようなニュアンスではなく誰かと一緒にやるというニュアンスの方が正しいかもしれません。
僕がやりたいことでないとモチベーションが続かず長続きしません。ビジネスは「誰かが欲しいものを提供する」と言われます。飲食店も10年目を迎え、農業を行うようになり、地元や地域というものを考え始めると「誰か」よりも「自分の好きな仕事が誰かのために役に立つ」という自分軸をもっともっと大切にしようと思うようになりました。もちろん、そこに課題解決があることは必要です。