拡張した畑のある場所、栃木県芳賀郡市貝町市塙。ここには大なり小なり多くの社寺があります。畑からも鳥居が見えたりもします。
僕は昔からそうで住んでいる近くの社寺に必ず参拝に行きます。スコッツマンをオープンしてからも常に何かあれば毘沙門天様です。2023年新年元旦、この日は毎年同じなのですが朝8:00から毘沙門天様でご祈祷をして頂きます。
関わる方が心身健全に生活ができるように。そして会社として次のステージに行くことを誓いました。
ご祈祷が終わり次第、そのまま市塙に移動をして、近くの社寺に新年の挨拶に伺いました。翌日には畑作業もあるのでこの日は市塙に泊まりです。
ここには珍しい形で神社があります。同じ敷地内で二つの神社が並んで存在をしています。鳥居も2つ、狛犬も2組4体です。
【 日枝神社 と 熊野神社 】
永久年間(1113~18)創立
久寿二年(1155)現在地に勧請
安永八年(1779)現本殿完成
御祭神 大山咋命(おおやまくいのみこと)
長歴二年(1038)創立
享和元年(1801)現本殿再建
明治三十年(1897)現地に移転
御祭神 伊弉冊命(いざなみのみこと) 速玉男命(はやたまをのみこと) 事解男命(こととけをのみこと)
この2つの神社、熊野神社の拝殿と日枝神社の拝殿とが渡り廊下で繋がっています。その裏に御本殿がありますが本殿覆い屋があり隙間からしか見ることができません!昔はもちろんなかったものなんですが、御本殿を守るために建てられたのでしょう。頑張って腕を伸ばし写真を取りました。更に脚立があったので借りました!
背面胴羽目は地紋彫りで左右胴羽目にもしっかり彫り物がされています。
斗栱からは龍の尾垂木が伸びています。
枓栱(ときょう)というのは、柱の最上部や軸部の上に設置されている部分で軒桁を支える部位の名称で、伝統工法の真骨頂とも言われています。
1箇所で2つの神社を参拝できます。
2組4体の狛犬がいますが、1組はずんぐりして可愛らしいんです。子供の狛犬もおどけたような表情が可愛いです。
この地域の初詣はどこへ行くのか住人の方や役場の方に聞いたのですが、聞いた5名の方全員が真岡にある日本一の恵比寿様のある大前神社に行くと聞きました。福の神様のだいこく様とえびす様がいて、えびす様に関しては日本一とも言われメデイアにも多数取り上げられています。
だいこく様と呼ばれる大国主神と言います。開運招福の神様で、健康をはじめ縁結び・五穀豊穣・厄除け災難除け・家内安全・産業発展など様々な多くの御利益を与えてくれます。
えびす様と呼ばれる事代主神は、大国様の子様なんです。知ってましたか? 河川海洋の守護神で、漁業安全・大漁豊漁をはじめ商売繁盛・家業繁栄などの御利益があるとされます。
そして、この二人の神様を二福神と言うように、多くの御利益や教えを僕たちに与えてくれます。
更に歴史的には武将平将門も戦の勝利を祈願しとされ、太平記に見える坂東荒武者・紀清両党の芳賀氏が崇拝。天正16年には、平家物語(大前神社本)を神前に奉納。そして、小学校などに銅像として立って有名な二宮尊徳も大前神社のみそぎ所に籠もり大前堰を改修しました。二宮尊徳は1787年に小田原市栢山で生まれ、1856年に栃木県今市で亡くなりました。なので栃木県には非常にゆかりの深い方なんです。
今年は兎年ですが、悪だくみをして鮫に毛を剥がされた白兎を大国様が助けるお話しが神話として残っているので、今年は干支と重なっているので多くの方が参拝に訪れると思います。僕も後で参拝に行こうと思っています。
しかし、僕個人的には「地元にもこんなに立派な神社があるのになぁ・・・」という思いです。僕は元旦の昼過ぎにお参りをして写真を撮ったり30分以上居ましたが、参拝をしている人とは誰一人として会いませんでした。
日本人は無宗教と言われながら、これだけ多くの数の神社が何百年もの昔から現代まで祀られ続けていました。
かつては多くの人達が、現実的な御利益ではなく、正しい心で生きられる事を願って神社を訪れていたそうです。日本には八百万の神といって自然界にも神様がいるとしてきています。農業はその自然を相手ではなく逆らうのではなく従っていく産業です。
健康で事故なく農業に従事し豊作を願い。地域のためのキッカケ作りを農業でしていくことを誓ってきました。
市貝町市塙は過疎地域です。そのことも影響をしているのか地域としてのお祭りがほとんどありません。上の写真の八朔祭と花火大会くらいしかありません。この八朔祭もどの程度なのか分かりません。たぶん思っている以上に小さなものだと思います。
スコッツマンは神楽坂にありますが、この地域は大なり小なり何かしら地域のイベントがあります。そしてそれに参加をして欲しいと声をかけて頂きます。僕自身も開店当初から地域のイベントごとには参加をすると決めていますし、地域のNPO法人の方々とも地域のことについてよく話をしているので、やはり神楽坂という地域のことに関して考えることは非常に多くあります。
もともと神社は信仰の対象というだけでなく、地域の人が集う地域コミュニティの場としての役割がありました。しかし今では、それも薄れ信仰のためだけの場としているようにも思います。コロナ禍で様々なものが分断されましたが、コミュニケーションというものが分断されたことが大きく感じています。
そういうものを再度、育み直そうとするときに、地域のイベントというのは言い方はあれですが手っ取り早い手段だと思います。僕自身、農業を始めたのがコロナ禍で食に関して考えることが多かったことによりますが、その食というものは地域の繋がりなどを再構築したり発展させるには非常に大きな力を持っていると信じています。
今回、参拝に行ってあまりに地元の神社が忘れられているんじゃないのか?もし少しでも人が集まるようになれば町は活性化に少しは近づくんじゃないか?そのように感じ思いました。